人生の楽しみ
人間活動の再開
人生は楽しむためにある。そんな単純な子どもじみたいたって短絡的な生きた方を選んだ。お金は十分に稼いだ。というか使っていない。恋愛、結婚、出産、子育て 住宅購入 子育て資金 ローン返済 僕には皆無なことだ。
今までも自分のしたいように生き、したいことを選び、生きてきた。でも何か楽しめないことが多かった。自分は何がしたかったのか?考えてみることにした。
幼少期の夢
想像するのが好きだった。超合金のおもちゃを持ってアニメの世界を想像し、近くの女の子の家ではキキララの家?だったか 家庭生活を想像していた。
家のすぐそばの壁に野球のボールの投げて独りで試合をする想像をしていた。独り遊びの名人だった。
ボーイスカウト
父がやりたかったと理由を後で聞いたが、小学校2年からボーイススカウトの下部組織カブスカウトに入る。小学校区以外の人と週末 キャンプにいったり、ハイキングしたり、冬はスキーにいったりした。夏のキャンプは3泊4日あって子どもだけでテントに泊まり、自炊するのがきつかったけど、山好きやアウトドアが好きになったのはこの時間を過ごしたからかなと思う。
歴史に出会う
大仙公園にある堺市立図書館に兄と母と通っていた。母は兎に角本をよく借りて読んでいた。兄と僕は紙芝居であったり、録音したテープであったり、本はあまり好きではなかった。そこに漫画があることを知り 日本の歴史に出会う。ドラえもんやあさりちゃんなどの漫画は小遣いの範囲でしか買うことができなかったけど。学習という名目のものは別会計だったような気がする。織田信長、豊臣秀吉、野口英世、リンカーンなど自伝ものをよく読んだ。大河ドラマで初めてみたのは「黄金の日々」じいちゃんが見ているのをよくわからんとみていた。その後 徳川家康 女太閤記と両親が見ていたのをおもろないなーと見ていた。それが図書館で見ていた漫画であることに気付き 関連書物を読むようになる。独眼竜政宗、武田信玄、ドラマと書物を平行して読み 歴史好きになっていった。
音楽に出会う
こどもの時は、沢田研二の勝手にしやがれを真似したり、ピンクレディを歌ったりしていたけど、歌詞がわからないと思っていた。音はテレビから聞こえますが、歌詞がわからないから聞いた変な歌詞を歌ってました。巨人の星は重いコンダラと思ってましたから。ある友人から明星と平凡の付録に歌詞があることを聞き、入院中のじいちゃんにねだったのを覚えています。それから兄が毎月歌謡曲という雑誌を買っているのを見せてもらってました。
かっこいいなと思ったのはWhamというPOPディオ。マクセルのカセットテープのCMソングになっていて夕方のMTVを録画してみていた。MTVから色々な洋楽を知ることをなった。でも残念なことにしばらくしてWhamは解散してしまうんです。
中学の時にサザンやユーミンとかおねちゃんのアルバムを録音したるわという流れで色々聞いたけど Whamほどはまる音楽はなかった。
バンド活動
高校になって尾崎豊にはまってしまった。音楽ではない。歌詞の世界観にだ。男子校、進学校 堺から大阪市内にいくことで これまでの地元の仲間から離れてしまった孤独感が 尾崎豊の世界観とリンクした。尾崎豊を弾くためにギターを買った。でも全然ひけずにいた。中学の友達が僕がギターを買ったことを聞きつけて、何故かハードロックのバンドをやることになってしまった。WHITESNAKEやBONJOVIのコピーバンドだ。それにより孤独感から解放された。それと並行して尾崎豊を聴かなくなっていった。大学に入りバンドは解散した。大学の音楽サークルに入ったが、なじめず辞めてしまった。でもずっとギターを弾いていた。ギターが弾けるのは他の人と差別化できることだった。練習を重ねて以前弾くことができなかった難しい曲も弾く事ができるようになった。自分の存在意義がギターを弾くことだった。
音楽で食えたらいい
今考えると何でそんなことを思っていたか不思議だ。15歳くらいから5年間ほどそればかりやっていたので食えるかどうかよりも他人より差別化できるものがしたかったのだろう。そんな理由で音楽の仕事を目指すことになる。そして数年後現実となる。自分はサクセスストーリーを邁進していたのだろうと思っていた。そのサクセスストーリーはレコード会社退職で終わることになる。
何が楽しかったのだろう
これだ。というのはないが、何かを目標をもってやっているのが楽しかったような気がします。目標は想像する世界。そう子供の時に独りで壁にボールを当てて野球を想像していたようにWhamのように音楽の世界観を想像し、尾崎豊になりきり、歴史の世界を夢みて まだ見ぬ自然世界を想像していたのだろう。
これから想像する世界は何なんだろう。