twozzymasaの日記

徒然なるままに記す

空白の20160901~0930 ⑤

薩摩の黒板五郎(北の国から

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薩摩川内の朝、Tさんの家に寄った。N夫妻や他の仲間への焼酎を持って帰るためだ。

関西人のTさんは、尼崎のライブハウスで今の奥さんと知り合う。奥さんが薩摩川内出身で奥さんとこどもたちと自然豊かなこの街に移ってきた。市内から少し山に入った東郷という町。川内川が流れて集落という感じだ。

 「つじいくん 一緒にきてくれへんか」

 車に乗り 近くのコメリで材料を買った。「夢工房」Tさんは、建築業を自分独りでやっていた。簡単ではなかったという。関西から来た人間なので中々なじめなかったという。しかし、一つ一つ 仕事をやっていく中で人間関係を築き 独立して仕事をするようになったという。

 「でもな 人間関係がしんどいときもあるで」

 町特有の議員さんとの関係、近所付き合い等。

 「自分でやっているから時間のコントロールもできる。仕事量を減らしたら収入減るしけど、食っていけるようになったからええねん。逆にな。仕事やりすぎると他の人の仕事を取ってしまうことになるから このへんが難しいねん」

 この発想に共感できた。コンビニビジネスは 奪い合いだ。市場の原理に任せて淘汰されていく。コンビニ自体も既存のスーパーや百貨店のシェアを奪ってきた。ただ、コンビニはフランチャイズという形態を取り、加盟するオーナーにリスクを負わせ、リスクを分散させる。店舗指導員が必要なのは、オーナーの監視係なのだ。その仕事に就いたとき あたりのキツイオーナーを担当した。4年程だ。深夜でも電話をかけてクレームをいれてくる。今考えれば、彼らは自分の不利な状況のフラストレーションをぶつけていたのだ。最前線の店舗指導員は それを受ける立場だったのだ。

優しい同僚Kさんの話

 ミニストップで仲の好かった60歳のKさん。見た目は強面で仕事をぜんぜんしないという噂で社内であっても挨拶する程度だった。きついオーナーを担当した後、5年前同じチームに異動してきた。噂を聞いていたのでそんなに話をするということはなかった。

 翌年、チームの長が変わり状況は一変し、管理を徹底するようになった。本部としてやることを徹底する。それ以外はない。仕事をぜんぜんしないKさんは、どうなるのだろう。他人ごとのように心配した。しかし、Kさんはうまくすり抜けた。逆に私に矛先がまわった。その後別の店舗指導員も同じことになり チーム内は疲弊していった。

加盟店を監視できない店舗指導員は 悪だ。「おめえのせいで売上が落ちているんだ。やる気がないならやめてくれ」そんな言葉を会議で皆がいるなかで言われたこともあった。

 半年ほど経った。累積の違反があり 免許停止になり 交通機関でも巡回になった。ある店は 山の上にあり 移動するだけで大変になった。言い訳はいけないが、17時半までに全店に電話をして発注数を上げる「2閉め」を強要された。アポが17時にあるので移動しながら電話をしていたのだ。佐川急便の違反が多いのは報道されたが、コンビニの仕事も違反が多いのだ。でも言い訳はいけないと思う。大変のな状況の中、山の上にある店が、文句を言いだした。無理に開発が契約を急いだこの加盟店は、運営能力がなかった。そういった加盟店を多く担当してきたチーム長は、辞めて欲しいとずっと言っていた。言い出した文句の内容が、契約違反に接触する内容であった。

 「辞めさせることができるチャンスだ。同じ考えでいてほしい」そう言われた。その加盟店は 人間的に好きな人であった。彼も自分の不利な立場を知り、文句をいっているだけだった。辞めさせるのはどうか ?私の正義は何か? 心が揺らぎ始めた。しかし、チーム長はやる気であった。

「ICレコーダーをつけてくれ。そしてつじいさんが言った言葉も細かく毎回報告してくれ」

 こころが切れた。僕も信用されていない。嫌そうだろう。僕は監視係が嫌なんだ。

「会社を辞めさせてください」電話で報告した。「やっぱりそうか お前はそんなやつだ。早くやめろよ」チーム長は叱責した。

40歳になっているのでここで辞めれば不利とはわかっていた。ただ、自分の正義に嘘をつけなかった。京都から電車で帰るところ、四条から京都駅まで歩いた。心が壊れそうだったから 歩いて落ち着かせようとしていた。

「おーわしや Kや  どこおんのや おくっていくよ」

七条あたりでKさんから電話が鳴った。恐らくチーム長が腹が立ってKさんに電話したのだろう。

「つじいちゃん。あんたのええところは 情が深いところや。わしは好きや。でもな 利用されんねん。利用されてしんどなんのんつじいちゃんやねん。この仕事は 利用されないようにうまく立ち回るんや。加盟店を助けたらあかんねん。でもな加盟店に嫌われたらあかんねん。難しいけどな。自分を守らないといかんねん。辞めるっていってないやろな。寂しいやんわし。あんたみたいはええ人 がんばっているひと やめたらあかん」

「やめるとか言ってないですよ。でもありがとうございます。Kさんの言っていること当たっていると思います」

電話を切った後、涙が出た。いざというときに助けてくれる人 いるんだ。Kさんは、仕事をしていないのではなく、うまく立ち回っていたんだ。出世はしないけど家族を守るためにバカを演じ、仕事してきたんだ。そして自分のことのように僕を心配してくれた。

少欲知足

5年前、中村敦夫 『簡素なる国』を読んでこの言葉を知った。
時代の閉塞感、いくら仕事をしても お金を稼いでも『幸福感がない』
果てには、身体と精神を病んで死んでしまう人もいる。
『簡素なる国』から抜粋
産業革命から始まった近代は、「無限の経済成長」という旗を掲げ、二〇世紀前半に爆発的な開花を見せました。しかしながら、その原理の致命的な欠陥ゆえに、その後急激な衰退の道を辿り、今や死の淵に追いつめられた。私はこの状況を、人類を閉じ込めている「四面の壁」と表現し、四つのテーマを取り上げて説明しました。...それにしても、この危機からどう説出するか?私の答えは「貪欲と競争」から「少欲知足」への価値観の転換、「グローバリズム」から「ローカリズム」への社会システムの転換です(「始業チャイム」より)。
老子」でも「足るを知る者は富む」とある。
コンビニエンスストアは、売上高を昨年より増やす為に出店を押し進める。
数メートル先にもあるにも関わらず競争の原理だから仕方がない。
貪欲と競争の果てには 勝ったものと負けたものができ、淘汰される。
ミニストップも上位チェーンとの貪欲と競争の果てに淘汰される可能性が高まってきた。
しかし、勝った上位チェーンも新たな貪欲と競争が始まり休むこともない。
足る すなわち 自分がどれだけ必要か知ること を自覚しないと どれだけ増えても満たされない。

フェリーで天草に

Tさんの家を後にして長島に行き、フェリーに乗り天草半島に渡った。中々行くことないと思い 遠回りしたのだ。

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自分が目指すのは

  5年前に退職を申し出たが、Kさんの優しい言葉で退職を留まった。「うまく立ち回ろう」そうやってなんとか過ごしてきた。3年後、経営に行き詰まった担当店が売上金をもって逃げた。その責任を負わされ半年間、その店の兼任店長になり、過重労働を強いられた。異動した福井県で直営化が進み、結果過重労働することになった。

 もううまく立ち回ることができなくなってきた。なんでそうなるのだ。やはり加盟店に不利な契約を続けるこのビジネスに無理があり、自分自身その事実に目を背けていい人を続けることができなくなっていた。

 利益を追い続けた先にあるのは、経営破たんしたオーナーであり、その穴埋めをする自分であった。この仕事を続けるには、監視役になり 加盟店がつぶれようとも本部の利益を守り、会社のやることを徹底させることだ。そう思った。

 「儲けすぎてはいけない そうすると 儲けれない人がでる」Tさんの言葉だ。亡くなった父が建設業界にいて 談合は必要と言っていた。そのとき同じことを言っていた。少欲知足でありたい。自分の目指すのはその生き方なんだ。

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熊本に着いた。昨日飲みすぎたこともあり ホテルに入り10時間ほど眠った。城は地震の影響で入ることができるところが少なかった。