twozzymasaの日記

徒然なるままに記す

空白の20160901~0930 ②

大分は豊後 大友宗麟

 

f:id:twozzymasa:20170226100402j:plain

別府から30分程で大分市内に入った。駅前は賑わっていたが、お目当て大友宗麟だった。「島津」と同様にあまり歴史では主役ではない。九州北部六か国を治めた大大名だが、島津、龍造寺に攻められ最後は秀吉にすがった。発掘中で今後何か出てくれば復元するかもしれない。この場所に着いたときあるLINEグループに投稿した。引っ越ししてしまえやとアドバイスしてくれた友人N夫婦だ。傷病有給休暇ということでFacebookに投稿できず、誰かとつながっていたい そんな思いがあった。そこでN夫婦から鹿児島の薩摩川内に住むTさんに会えやとLINEが入る。後々会社を辞める決断をするのだがTさんと会うことで決心が付くのだが、LINEの返信が嬉しかった。独りが好きなのに独りが寂しい。そんなとき昔はよく電話していた。メールはパソコンでという時代だったので電話で愚痴を言いストレス発散していた。正直大学までストレスを感じたことがなかった。やはり親に守られていたのか友人に恵まれたのか、ストレスを感じたのは前職の時、北海道に転勤してからだ。その北海道でうつ病を発症する。仕事に挫折、失恋、自信家だった私は、砕けていった。そのとき名古屋の同僚の女性と電話で何時間も話をした。きっかけは彼女の恋愛相談だった。いつの間にか逆転し心の支えになった。仕事を失うと人と関わることはなくなる。そんな焦りが生じた。自分は必要のない人間じゃないか また考えすぎる悪い癖だ。考えるのは止めよう。バイクを走らせた。

 

www.blwisdom.com

戸次川の戦い

senjp.com

 

 

 

 

 

f:id:twozzymasa:20170226103235j:plain

センゴクという漫画がある仙石秀久という美濃出身のマイナー武将の目線で信長、秀吉の時代の話を詳しく描かれる。単行本も40冊以上になっている。秀吉の命を受け四国の長曾我部とこの地で南から侵攻する「島津」に備える。手柄をあせった仙石は、動くなという指令を無視して「島津」に大敗する。その情緒に慕っているいるときLINE電話が入る。Tさんだった。「どこや うーん それやったらここええで ようきてくれるなー うれしいわーなんや へこんでるらしいな Nから聞いたわ ええでそんなん だれでもあるわ いつこれんや 薩摩川内に のもうや」久々の関西弁が心にしみた。

 

f:id:twozzymasa:20170226104755p:plain

鹿児島にいつ着けるのか?125CCスクーターPCXは最高速度110キロあまり飛ばさず南下した。途中佐伯により 城を見学。城下町の雰囲気が残っていた

f:id:twozzymasa:20170226105144j:plain

 

f:id:twozzymasa:20170226105049j:plain

耳川(高城)の戦い

「島津」は何度か少数の兵で大軍を破る戦をした。寡兵で敗軍を打つイメージは織田信長桶狭間だろう。信長はそれ以降無理な戦していない。「島津」は関ケ原の退却戦まで少数で戦う強さがあった。島津4兄弟。義久 義弘 歳久 家久。

義久 三州の総大将たるの材徳自ら備わる
雄武英略をもって他に傑出する
歳久 始終の利を察する知計が並なし
軍法戦術に妙を得たり

4兄弟の祖父日新斎忠義から上記のように評された。4万の大軍に攻められた高城に3000の兵で救援に向かう4男家久。その家久が窮地に立たされた時、この戦場に島津4兄弟が揃い「必ず助ける」その思いで大軍を撃破した。詳しくは下記リンクへ

薩摩島津氏-耳川(高城)の合戦-

f:id:twozzymasa:20170226110544j:plain

今は何もない農地であったが、「島津」4兄弟をイメージできた。

もう15時14分。宮崎までかな~ まだ旅館も取っていないけど宮崎に泊まるのはいやだった。理由は、6年前 宿泊したことのない宮崎を来たとき 敢えて城のある延岡に泊まった。当時東国原知事が人気で楽しみに宮崎市内はいると作られたイメージがあった。九州を味わいたいのであれば宮崎市内はだめだ。そこから強行軍にでることにした。

f:id:twozzymasa:20170226111559p:plain

楽天トラベルを確認すると霧島温泉に一泊2500円に温泉宿がある!そこまでいけるんとちゃうか?地図の確認すると山の中何もない温泉宿。途中高原(たかばる)で食料を調達しPCXを飛ばした。たどり着けるのか?このドキドキ感が 悩んでいた自分を忘れさせた。19時 真っ暗な山道をたどるとぽつんと温泉宿を発見できた。風呂に入ると鹿児島弁のおじさんが話しかけてきた。「どこからきたの? おくさんは? 仕事は? なんでここ知ってるの? 」地元の人しか行かない秘湯だったようでもともと山で作業するする村人が入るための温泉を大阪から来た今の主人が買い取り、村人用は継続しつつ 格安で営業している温泉宿だった。まだ9月で暑かったが、高地であるため 窓を閉めないと寒かった。温泉はかなり暑く真っ暗なサウナ的小屋もあり 何よりも地元村人に話かけられるので退屈しなかった。400キロ走った。疲れた。

f:id:twozzymasa:20170226112030j:plain

f:id:twozzymasa:20170226112755j:plain

f:id:twozzymasa:20170226112105j:plain

空白の20160901~0930 ①

 2016年8月31日。小浜のある店のオーナー会うことになっていた。自主閉店していたオーナーに指導するということでMGRと会うことになっていた。そこで予定になく部長が現れた。私を説得するためだ。しかし説得できず翌日から休暇を取ることになった。

私が7月20日に退職を申し出ていたのだ。部長は手続きを取らず引き延ばしていた。

f:id:twozzymasa:20170226172811j:plain

 2週間後、福知山の事務所に行き、部長とMGRと面談。さらに2週間休んで人事部長と面談し 今後のことを話をするということになった。4週間、有給で休めることになったのだ。数年前からコンビニエンスストアかつフランチャイズビジネスに限界を感じていた。我慢さえすればお金はもらえる。無理とわかっていてそんな時期が続いた。人生の目標は何なんだ。くそ真面目な私はよくそのことを考える。考えなくてもいいことを考えるのが悪いくせだ。考えたさき、退職の話をし 現場をボイコットした。部長は懇談する、辞めないで欲しいと。その目的が彼の保身と知りつつ感謝の体を示した。私なりの礼儀だ。ここで彼の言う通りにして会社に残れば 2年前と同じ少し楽な部署に異動になったと思う。彼は近畿なら好きな部署に行かせることができるといっていた。そんな好条件を私は断った。もうお金は要らない。自分の時間が欲しいと。

 翌日大阪に戻り会えなかった友人にあった。どんな気持ちだったのか 安心?安堵?不満、解放 迷い。。。 そう迷っていたと思う。友人は言う。引っ越ししてまえやと。翌日 迷いを断ち切る為に自家用車で敦賀に戻った。何もない部屋の荷物は2時間ほどでパジェロミニに収納された。少しは残っていたが、よくこんな質素な暮らしをしていたと自嘲した。

f:id:twozzymasa:20170226084706j:plain

 

久しぶりに誰もいない実家で過ごすことなる。父が亡くなり9年荷物はそのままでごみ屋敷まではいかないが、引っ越ししたばかりのという部屋だった。

 そしてまた考える人生の目標は何なんだ。私には家族がいない。独りだ。養うべき人守るべきものがない。生前父が、迷ったときお前が大学までは頑張ると言い聞かせたといっていた。私が働く意味は何なんだろう。それなりに理由はもっていた。今会う人に全力でできることをする。社会は支えあいだ。コンビニのアドバイザーとして経営者を儲けさせ、またその店が地域の人の役にたつ。それがいつの間にか経営者が疲弊し、地域にも支持されない店を生み出すようになった。自分の存在意味がない。その思いを吐露したオーナーに何でSAの仕事を続けるのだ言われ答えに窮した。

 時間ができた。何をする。3日前までは寝る間も惜しんで働いていた。考えることはほとんどなかった。逆に考えることは必要でないのかもしれない。そもそも生まれた理由も知らずに生きているのが人間だ。「考える故にわれあり」なんて必要ないのだ。とりあえず動くことにしよう。9年間片づけなかった部屋を無心で片づけた。明日は応接室、その次は和室。毎日パジェロミニにいっぱいの荷物を堺港のごみ焼却場に運んだ。

部屋はきれいになり、また考えることを始めた。

f:id:twozzymasa:20170226172856j:plain

 「九州に行こう」突然タブレットを検索し、九州行きフェリー往復割引を予約した。125㏄スクーターPCXで無心に九州を走ろうと思ったのだ。辞めるべきか、続けるべきか。この旅行で答えが見つける。いや時間を延ばせる。何かをすることをこんなに求めたのはあまりなかった。なぜ九州か?「島津」を知りたかったのだ。「島津」太古の昔隼人と呼ばれた人達が九州の南にいた。その九州南端を鎌倉から幕末まで支配し、倒幕の礎を築いた。しかし、「島津」について多く記された書物は少ない。大河ドラマでも脇役で登場する程度だ。現地にいけば「島津」を知ることができるそう思った。

 船旅は、時間を持て余す。考えないそれがすぐに壊れた。南港で買った弁当はすぐ食べてしまい 部屋で歴史小説を読んだ。

哄う合戦屋 北沢 秋

Amazon CAPTCHA

天文十八年(一五四九年)。甲斐の武田と越後の長尾に挟まれた中信濃土豪が割拠する山峡の名もなき城に、天才軍師・石堂一徹が流れ着いた。一徹に担がれた領主の遠藤吉弘は、急速に勢力を広げる。しかし吉弘が一徹の心の奥底に潜むものに気がついたとき、歯車が狂いだす―乱世を生きる孤高の天才の愛惜を描いた作品。

主人公の天才軍師は、武田との決戦の前に突然軍を解散する。それが結末だ。彼は武田に愛する妻、娘を殺された。その責任を取る形で信頼する家臣を失う。武田侵攻の原因を作った無能な主君村上義弘を見限り、放浪の旅に出る。そこで小領主遠藤氏に仕えることになり、彼の立てる作戦は遠藤氏を大名にのし上がらせた。しかし、遠藤氏や他の小領主それぞれの欲望は、彼を惑わせる。そして一人仏像を掘る。欲望は尽きない。信濃を制する武田もいずれ信長に滅ぼされる。欲の先にあるのは破滅か。天才軍師は軍を解散する。

 別府に早朝到着した。

[http://:title]

 別府は、7年前車で来たことがあった。温泉を巡り湯布院に向かった。今回は125CCスクーターPCXだ。どこまでいけるのだろう。南に向かった。大分豊後の国の国府があった場所だ。どんな旅になるんだろう気持ちがワクワクした。

 

f:id:twozzymasa:20170226083807j:plain